事業報告

平成23年度 第2回研修会

研修報告3 様々な現場活動から 現状と課題を考えます。

 

吉田顧問(福島県郡山市):

  福島までようこそ。原発災害は進行形。どんどん深刻になっている。物理的

 なものよりも、人がどんどん痛んでいる。

坂本議員(福島県富岡町):

  ようこそ福島へ。先日議会で第1原発まで行ってきた。3・4号機の姿は大

 変悲惨。

いしはら議員(福島県福島市):

  避難者を受け入れる方の自治体である。

  避難する方々はどうやってどこに逃げるかが重要な課題。避難者は2万人。

  毎日多くの方々が避難してこられた。受け入れるインフラがあるのか。市内

 の小中学校などすべて解放。それでもトイレ前で人が寝ていた。
  原発が爆発したとき、屋内退避の中で食事などどうやって行政サ-ビスをし

 ていくのかが自分の課題。浜通りではないけれど線量の高いところがある。そ

 ういったところに対して、何ができるか考えている。毎日悩み続ける。精神的

 健康被害。

東角顧問(福井):

  議連設立4年目。まさかこんな大きな災害があるとは思わなかった。
  福井はボランティア推進と自負している。発災翌日には県としての支援を速 

 やかに決めた。福井県災害ボランティア活動基金を使うことと、岩手県陸前高

 田市を中心に支援することを決めた。初めは災害時要援護者の支援から。適宜

 被災地のニーズを先読みしながら支援していった。2~3日おきに福井県から

 ボランティアバスを出した。
  小さい自治体だからこそできる支援を考えた。基金の活用もその一つ。自分

 たちが被災した場合も、あるいは県外の被災の場合も活動しなくてはならな 

 い。

  活動基金はたいへん有用である。基金は一般会計に一度落として使うのだ

 が、弾力的にスピード感を持って活用できるように改善もいる。
  福島県とタイアップして子ども受け入れなどを行っていきたい。

坂本議員:富岡町で被災。
  3月11日県議会委員会で採決。浪江町の選挙事務所の人に「選挙をがんば

 ろう。」と話したとたんにぐらっときた。とんでもない揺れ。車が1mほどバ

 ウンドした。建物から女性が出てきてへたり込んでいる。道路は陥没で通行止

 め。道一つで命拾いした。
  車の中で寝た。「原発が危ない、避難したら?」と弟から聞いた。6号線は

 寸断。西に逃げるしかない。これまで避難道路という概念がなく、西向き道路

 は少ない。20キロの道のりを5時間かけて川内村へ逃げた。高速道路をしっ

 かり作り、先を封鎖し、根元から逃げられるようにすべきだ。早く遠くに逃げ

 る訓練がいる。明瞭に逃げる計画指示がいる。

  逃げたその日も車中泊。住民3000人の川内村に6000人の富岡町民が

 押し掛けた。マットレスで子どもたちと寝たが、選挙をやっている人間は強

 い、眠れた。今は子どものアパートで生活している。
  避難時の食料、菓子パンが続いたのにはまいった。ガソリンがない、原発ニ

 ュースで入ってこなかった。広いところから狭い所に生活場所が変わった。

吉田顧問:

  郡山は避難しなきゃいけないのか受け入れる方なのかをまず聞いた。
  阪神以降、食料は自衛隊が炊き出しをしたが、今回は自衛隊もとても手が回

 らなかった。避難者に1ヶ月たっても温かいものが当たらない。自分はひたす

 ら炊き出しを行った。まず飯、温かいもの。いわき、相馬まで、1日3000

 食を超える炊き出し食提供。それだけやっても行政はおにぎり1個くらいしか

 提供できない。物資も配っている。
  先が不安なので自分のお金を使いたくない。家の中で縮こまっている人、全

 部使い切って自暴自棄の人・・・いずれも不安の表れ。ボランティアは被災者

 に寄り添うことが一番の仕事だと思っている。行政から見ると、被災者が「も

 らい慣れている。」と言うが、それも不安だからだ。自立は愛情がたくさん注

 がれてこそできる。突き放されては立てない。議会や行政のスタンス、忘れな

 いでほしい。

川上議員(岐阜):

  気仙沼の支援を行っている。
  支援物資で最初集まりにくかったものは女性の下着。集まりすぎたのは南三

 陸町で10×3×20メートルもの量の汚れた下着。現地ではリュック一つが全財

 産。ご遺体に遭遇するときもある。
  お風呂を作った。涙を流して喜ばれた。1ヵ月半後で初めてお風呂に入った

 女性もいる。初めて下着を変えたという人もいた。
  端っこの地域には支援が届かない。食事の届かない所もある。気仙沼の浜セ

 ンは、タブーだらけ。避難所と併設。重機もあり。泊るところもすべて準備し

 て、やっとボランティアが来てくれた。社協系ではないのですべて自力。東京

 消防庁OBなども来られた。きれいにしてもゼロになっただけなので、ボラセ

 ンの限界を感じた。
  他の地域からも依頼がある。閉所2日前に南三陸町から「自衛隊撤退後の入

 浴施設を設置運営してほしい。」「陸自に機材を残していってほしいと頼んだ

 がダメだった。」と言われ、機材をゼロから集めてやった。5か所で2万人以

 上が入湯。
  災害発生時点での住所地域を調べると、海岸端に住んでいた方の死亡率は以

 外にも低い。危険指定なしの地域の方が多い。避難に関し、危機感の違いもあ

 ったのではないかと感じている。モノを重視してなくなられた方が多い。避難

 第一。河川や土砂災害でも非常持ち出し袋を持とうとして逃げ遅れ、逃げるタ

 イミングを逸した人が多い。非常持ち出し袋を持って出ろと言う教えはいかが

 か。食料より命。冷静さを失っていても子どもたちを含め安全に避難できる計

 画がいる。要援護者支援。支援者側への補償制度がいる。現状、保障制度がな

 い支援制度を考えなくてはならない。

草島議員(山形):

  阪神原点で活動している。17年でどれだけボランティア文化が進化したの

 か、東日本大震災の活動はこれからが大事。

  石巻仮設住宅で孤独死7名。阪神では3年間で250名亡くなったが、今回は

 それを上回るのではないかと危惧している。これからどうしていくかが大事。

  メッセージカード付きで3キロのお米を65歳以上高齢避難者に支援した。訪

 ねて話をするのが大事。支援格差もある。神戸の時、中学生が修学旅行でお米

 を持って被災地に行った。自立とは言わない。
   1万3千名福島から避難してきている。大変な思いをしているので支援して

 いきたい。