事業報告

平成24年度 定期総会・第1回研修会

全国災害ボランティア議員連盟 第1回研修会
【研修報告1】その後の川内村の現状と課題~災害対策に思うこと~

  遠藤雄幸 川内村村長

 

・川内村の状況 行政機能を本来の村の中で立ち上げる。しかし戻ってきている人はまだ少ない。
・20キロ圏内と緊急時避難準備区域の間に警戒区域ライン。住民感情が複雑になってきた。
・ソバ畑が仮置き場に。フレコンバックが野積み。
・20000ヘクタール 田んぼは約400ヘクタール。8000ヘクタールが山林。林業王国。木炭・松の木がどんどん出された。いわき市の坑木として供給してきた。高齢化率34%。
・帰村宣言以降 戻った人たちの懇談会の時点で544人。現在600~700人ぐらい。
・新年度予算可決決定後に地震。当初はこれほどとは思っていなかった。
・12日 富岡町長から避難させてほしいとの連絡。2~30分の距離を5時間かかって川内村に来た
・12日15:36 1号機爆発。14日11:00ごろ3号機爆発。良く知っている富岡町の人は「ありえない」庁内が一瞬シーンとした。
・15日未明 6:00ごろ2・4号機水素爆発。枝野20~30キロは屋内退避。どれだけ恐怖をあおったか。想像以上に悪い情報だと推測 5・6号も心配していた。
・テレビ・固定電話の通信が途絶え、保安院のしどろもどろな答えのシーンが不安。「何か隠しているな」と感じていた。
・15日防災無線で「避難してください」と情報を流した。どうしても動けない人は屋内退避。
・15日未明から16日までにと富岡町の町長と避難判断。動けない人は広場に集まってもらってマイクロバスで3往復ぐらい。
・ビックパレットは第一陣の避難後に交渉。綱渡り状態だった。県からはビックパレットも被災していると言われたが拒否した。
・行政区の集会場などすべて公開。18の施設に8000人以上が3000人弱のところに避難してきた。
・運が良かった 風向き次第で葛尾村や飯館村のようになっていた。住民はいわき方向にも逃げた。
・現在0.14マイクロシーベルト。
・計りしれない。積み上げて来たモノもすべてなくした。人口は減っていくだろうし、若者は躊躇。避難先で新生活始めた人も。小さなコミュニティだからもう崩壊。
・避難先で6月に仮設に入った。仮設に入って交流が始まったという逆転現象もあった。
・草が背丈まで伸びて荒れている。低線量被ばくの健康への不安がある。
・土と関わることができないことで住民はストレスを感じている。労働・就業意欲の低下が怖い。葉タバコの契約栽培も作付け制限。和牛の殺処分。壊滅的だと思う。養鶏場すべて殺処分。
・自分で殺して自分で埋めることができないので、土建業者などが行った4~5月くらい。農地はきちんと除染することが大切。除染のためのコスト。国が継続して資質する気があるのか。
・年間農業収入11億円。除染もふくめ90億予算。400~500億の費用で除染していくことが可能なのか?除染した農地で耕作者がいるのか?
・除染農地も耕作しないと言うことになりかねない。子どもたちに後継を言えない。除染だけでは問題解決にはならない。
・森林除染も現実的にどうか。財源的裏づけもない。木を切れば多面的な機能が失われる。お金と時間が必要。
・避難所 職員も避難所に暮らして仕事。卒園式なども遅れて避難所で実施。
・嬉しかったのは自衛隊のお風呂。バスで銭湯にピストン輸送もしていたので、仮設お風呂はうれしかった。260人、ビックパレットで亡くなった人がいなかった。インフルエンザ、ノロ、結核がはやった。
・ドイツ政府からの支援も。
・9月30日 緊急時避難準備区域解除。復興ビジョン 除染計画も作った。
・11月公共施設・生活圏の除染作業開始。1月帰村宣言。3月役場機能再開。4月帰村。
・戻れる人から戻りましょう。戻らない選択肢も含む。4月村長選挙。争点になった「まだ早い」
・帰村宣言から以降、戻る準備を進めた。子どもが戻ると言う家庭は優先的に除染した。金融機関の再開。
・帰還の意志アンケート。戻る気なしは11.6%、すぐ戻りたい12.1%。8割の人はなんらかのタイミングを見てもどりたい。
・大熊・富岡・双葉は3割がもどらない。理由:除染困難83.1%、国の安全宣言が信用できない65.8%、 事故終息に期待できない41.7%。
・プレス発表の仕方に問題があった。いろんな数値が独り歩きして現場が翻弄されている。終息ステップ2終息の後にいろんな問題が出てくる。もどったら保障が切れると言う噂も。
・帰村宣言の記者会見。受け止め方によっては、影響があったかもしれない。丁寧な説明をすればよかったか・・・?
・帰村に向けた課題①目標数値の設定②チェルノブイリとの違い(産地山林の除染は行わなかった・・・③仮置き場、中間貯蔵施設に関しての見通し
・詳細な汚染度マップが必要。高いところには近づかない。今200ポイントでマップ作り。汚染度に合わせた作物を奨励。
・コパチ村 汚染された家は?⇒潰して埋める。国のシステムが違う。汚れたところになぜ戻るのか?汚れてない所に移って仕事が与えられればいいという考え方。
・川内村の除染の難しさ。環境省とのせめぎ合い。細い木を残すので作業効率が下がる。
・民家除染。表土を向いて復土。70~80%下がる。ソバ畑に汚染度のフレコン。仮置き場に1万戸。最終的には4万5千戸収納できる。
・課題 ○雇用の場の確保 ○企業誘致 ○水耕栽培
・インフラ整備、医療介護環境の充実。ホールボディカウンタ 甲状腺検査 心療内科 整形外科 眼科 介護施設が警戒区域にあるので事業展開できない。特養施設必要。
・食品検査。コマリン学校での食品検査 各学校で。
・安心は他人から言われても安心感は得られない。自分で勝ち取るもの。なかなか信じてもらえない。自分で持ってきて自分で計ることがポイント。
・生活再建の保障の継続。道路整備・交通手段の整備。商店・事業所の再開。防犯・防火の徹底。住宅整備。
・教育環境の充実。マンパワー不足。人材育成が重要。目の前の問題は解決しなくてはいけないが、今後は教育。
・双葉郡には高校がない。次を担う子どもたちが地元にいない⇒地域の消滅  
・チェルノブイリの消滅市町村の名前が並んでいるところ。他人事ではない。
・戻らない理由をいくら並べても解決にならない。選挙後、4回ぐらい東京周り。冷やかになってきている。
・不平不満・被害者意識では解決にならない。いつまでも保障は続かない。自分たちでできることはやらないといけないという提案の仕方をしないとなかなか進まないと感じている。
・川内村がどう復興していくか気にしていてほしい。